『納税者の権利救済制度確立のたたかい』(2) 著著、執筆TOP

申告納税制度の誕生

 日本国憲法の施行に伴ない、憲法の規定に反する法律や命令はすべて効力を失うことになりましたが、実際には膨大な行政法が一挙に改正されたわけではありませんし、これまで旧憲法の下で行政の掌に当たってきた役人がにわかに変身して国民の公僕になることもできませんでした。従って、本来なら違憲無効であるべき法律が、その後も生き残ったり、「天皇の官吏」がその地位にとどまって行政を続けるという状態が戦後かなりの間続きました。

 税法もその例外ではありませんでした。そのうえ、戦後の悪性インフレによって、課税最低限が極端に引き下げられ、ほんの少しの所得しかない人でも所得税を納めなければならない状態になりました。

 そのために、所得税の納税義務者数が急増し、税務署が納税者やその所得金額を把握することがほとんど不可能な状態になりました。

 そこで登場したのが申告納税制度です。今でこそ、申告納税制度は、国民主権の税法的表現であり、納税者は、自らおこなう申告によって自分が納付すべき税額を自主的に決定する権利が保障されたのだといわれていますが、その誕生の秘密は、実は、インフレによる課税最低限の実質的な大幅引き下げとそれによる納税者数の急激な増大、それを処理する税務職員の絶対数の不足にありました。

 そういう状況のもとでは、申告納税制度を採用して一般的に申告義務を課することによって納税者の存在を把握することが不可欠でした。私の個人的な経験を例にさせてもらえば、私の生まれた家は典型的な五反百姓(田畑などの農地が5反歩〔約5アール〕ほどしかなくてかろうじて生きているような農民のこと)でしたが、麦が、じゃがいもが何、菓子ぐるみが何というようなことを書き出して申告した記憶をもっています。そもそも、五反百姓に税金をかけるなど、とんでもないことですが、申告書が出てくればそれだけ増収になるわけですから、申告納税制度の採用は、徴税当局にとっては納税者を把握するとともに、課税資料を収集するための絶好の手段となり、その後の苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)に大きな役割を果たしました。

 右のような事情のなかで、国税当局は確定申告にあたって、納税者にあらかじめ呼び出しをかけ、申告額のつり上げをはかりました。これが悪名高い「呼び出し方式」「割り当て方式」だったわけです。

 この「呼び出し」により割り当てられた税額に満たない申告をした納税者に対しては調査もせずに遠慮会釈なしに更正が乱発されました。当然のことながら、それに対して大量の不服申し立てがおこなわれました。

 『国税通則法精解』(大蔵財務協会昭和52年改定版)によると、昭和24年の再調査の請求や審査の請求は、実に200万件以上に達していました(663ページ)。ただ、これに対してどれくらいの割合で処分の全部または一部取り消しがおこなわれたのかについては明らかにされていません。『民商・全商連の五十年』の資料編によれば、昭和23年から全国各地で「更正決定反対大会」(千葉、3万人参加)、「悪税反対市民大会」(大阪、3500人)、・東山悪税反対区民大会、東山納税民主化同盟結成」(京都、1200人)など、重税や更正乱発に対する反対運動が広まっていたことが記録されています。

 また、当時実施されていた取引高税に対しての反対運動も強力に展開され、昭和23年10月26日には、日比谷野外音楽堂で2万人参加の「取引高税撤廃大会」が開かれています。

 そういう情勢のなかで私たちの先輩は運動を組織し、それがやがて民商へと発展していったわけです。本稿は民商の歴史を発掘して記録することを目的とするものではありませんので割愛させていただきますが、『民商・全商連の五十年』によりますと「1937(昭和12)年に人口の1・6%であった所得税納税義務者は、47(昭和22)年には25・6%になりました。これはほぼ全世帯に税金がかかってきたことを意味しています」と記されています。

 また、アメリカの日本占領費用を調達するために「戦後処理費」と称して新しい税法が米占領下で次々と施行されました。戦時利得税、財産税、物品税、営業税、遊興飲食税、入場税、戦時補償特別税、増加所得税などがそれで、これらの税金は、税務署員がアメリカ占領軍の直接の指揮監督の下に強制的に徴収されました。

 戦後の日本は、深刻な食糧難の状態にあり、農民に対しては「食糧管理法」によって米・麦などの強制供出を要求し、それに応じない農民に対しては、警察官が米軍のMP(憲兵)とともにジープで乗りつけ、農家から米・麦を「強奪」するなどの行為が日常化していました。

 「訴願法」や「行政庁の違法処分に関する行政裁判の件」は、形式的にはまだ生きていましたから、違法な課税処分や滞納処分については訴願や行政裁判によって争う道がありましたが、そのほかの処分、例えば、違法な供出命令などについては、それが米軍の直接の命令という理由からも、訴願や訴訟が法律上認められていなかったという理由からも、全く争う道を閉ざされ、泣き寝入りさせられていたというのが実状でした。

訴願法の下での不服申し立て

 更正処分の乱発に対して不服申し立てが続々とおこなわれましたが、法制としては明治23年に施行された訴願法しかありませんでした。訴願法17条には「訴願の手続に関し他の法律勅令に別段の規程あるものは其規定に依る」と定められており、所得税法や法人税法には「再調査、審査及び訴訟」についての規定がおかれていました。これが、訴願法にいう「他の法律勅令に別段の規定あるもの」にあたります。

 さらに、昭和22年改正で、所得税法では50条、法人税法では36条に「再調査の請求又は審査の請求の目的となる処分に関する事件については、訴願法の規定は、これを適用しない」という規定を設け、訴願法の適用も排除しました。これは、ちょうど、昭和45年の通則法の改正で行政不服審査法の大部分の規定を適用除外したのと同じやり方です。

 所得税法や法人税法がどのような規定になっていたのかの概要をみるとだいたい次のようなものです(昭和22年4月1日施行、それ以前の規定については私の手元に資料がないので省略します)。

 訴願法は、行政不服審査法の施行まで生きていたわけですから、この所得税法、法人税法の規定は、施行後15年間、訴願法と並存していましたが、「別段の定め」として昭和22年4月1日以降適用除外となっていました。

異議決定を経て審査の請求

 まず、不服申し立てについての規定の表現に注意してください。両税法とも、「第7章再調査、審査及び訴訟」となっています。ここでは、課税処分に不服がある者については、その申し立てによって調査のし直しをするという意味を持つ「再調査」で不服審査が始まるわけです。

 所得税法48条1項(法人税法34条1項)は、更正、再更正、各種加算税の課税処分に異議があるときは、「これらの通知を受けた日から1箇月以内に」、「不服の事由を記載した書面をもって」、その通知をした税務署長に対して「再調査」の請求をすることができることになっています。

 現行国税通則法の「2カ月以内」よりも1カ月短い不服申し立て期間を定めていました。現行の2カ月になったのは、昭和45年の改正からです。

 また同項は、その処分についての調査が国税庁または国税局職員によってされたものであるときは、国税庁長官または国税局長に対して「審査の請求」をすることができることになっていました(所得税法49条1項、法人税法35条1項)。

異議決定を経て審査の請求

 税務署長に対する「再調査の請求」について「却下、棄却、一部取り消し」の決定を受けた時、その決定に不服のある者は、さらにその決定の通知を受けた日から1カ月以内に国税局長に対して「審査の請求」をすることができました(所得税法49条1項、法人税法35条1項)。

 以上の規定で注意すべきことは、現行規定のように、通知を受けた日の翌日から1カ月以内ではなく、その日から1カ月以内という点です。20日に通知を受けたときは、翌月の20日ではなく、19日までということです。この期間計算の方式は民法などの原則的なものです。

裁判の要件としての審査請求等

 課税処分取り消しの訴えは、税務署長のおこなった処分については、再調査の決定、審査の請求に対する決定を、国税庁職員、国税局職員の調査に基づく処分については国税局長または国税庁長官の審査の請求に対する決定を経た後でなければ原則として提起することはできないことになっていました(所得税法51条1項、法人税法37条1項)。ただし、再調査の請求をして6カ月を経過してもなお再調査の決定がないとき、または、審査の請求をし、3カ月を経過しても審査の決定がないときは、例外として審査の決定を経ないで訴えを提起することができることとなっていました(所得税法51条1項但し書き、法人税法37条1項但し書き)。

 以上のほか、旧所得税法、旧法人税法には、税務署長に対して再調査の請求をして3カ月以内に再調査の決定がない場合は、再調査の請求が、国税局長に対する審査の請求とみなされることになっていました(所得税法49条4項2号、法人税法35条3項2号)。

あいまいな争訟物規定原処分主義か裁決主義か

 もう一つ現行法との違いをあげると、現行法の行政処分を争う不服審査制度、訴訟制度では、法律に別段の規定がある場合を除いて、「原処分主義」をとっていますが、旧法では、「裁決主義」をとっていると解される規定があることです。それは、旧所得税法49条1項(法人税法35条1項)の「(税務署長の再調査の請求についての決定)に異議があるときは、これらの通知を受けた日から一箇月以内に、命令の定めるところにより、不服の事由を記載した書面をもって、……国税局長に対し、審査の請求をなすことができる。この場合において、当該審査の請求が再調査の決定に対するものであるときは、当該再調査の目的となった処分に対する審査の請求があわせてなされたものとみなす」という規定です。

 「原処分主義」とは、争いの対象となるのは、課税処分でいうと、最初に税務署長がおこなった更正処分で、これが審査請求によって一部取り消された場合でも、当初の処分のうち取り消されなかった部分が残っていて、それがその後の訴訟などでの争いの対象(訴訟物)であるという考え方です。現行の行政不服審査法や行政事件訴訟法はこういう考え方で作られています。

 これに対して「裁決主義」とは、異議決定や審査裁決によって原処分が全面的に取り消され、異議決定や審査裁決が処分としての効力を持つという考え方です。実際にそういう考え方で作られている法律もあります。例えば海難審査判法では、高等海難審判庁の裁決については、審査庁である高等海難審判庁長官を被告として裁決の取り消しの訴えを東京高等裁判所に対して提起することになっていますが、これは、海難事故の原因を明らかにして責任の所在を明確にするという特殊な目的を持っているからです。

 特許法においても、特許等の申請についての審決があった場合、訴訟でこれを争うときは特許庁長官を被告として争うこととなっており、やはり裁決主義をとっています。

 最近の立法例では、ほとんどの行政処分について原処分主義がとられています。旧所得税法や旧法人税法が、先にあげたようにあいまいな立法となっていたのは、行政争訟制度について、まだ理論や経験が不十分だった結果ではないかと思われます。

(せきもと ひではる)

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