『納税者の権利事件簿』(3) 著著、執筆TOP

「奥さんの承諾」は本人の承諾ではない

 国税不服審判所が発足したのは、1970年5月1日でしたが、納税者の権利救済制度の改善については、その数年前から納税者団体はもとより、業者団体や学界、実務界からも強く要望されていたところです。

 国税不服審判所は、課税庁(国税庁とその下部機関)から独立したものとしなければ実効がないのですが、政府は、国税不服審判所の裁決を、課税庁の最終的な判断と位置づけ、・税務行政の統一的運用」という理由で、国税庁の附属機関として発足させました。

 このときの国税通則法の改正で、これまで原則として行政不服審査法で処理されてきた、更正・決定等に対する不服申立てについての手続きを、一括して国税通則法のなかに「不服申立て」の章を新たに設け、そこで全面的に規定しました。それまで、国税局の協議団で審理されていた審査請求が、国税局からは独立した審判所で審理されることになったという程度の改正だったといってよいでしょう。

 というのは、国税審判官の身分保障がなく、税務署長や副署長とかが審判官としてひんぱんに人事交流しているのですから、基本的に課税庁に盾つくような裁決を出したら、その後の昇進に影響してくるからです。課税部門と審判所の間の人事交流をやらないということが必要なのはそのためです。

 審判所が発足した直後の71年に、私は、大阪税経新人会のI税理士から東京在住のM歯科医師に対する更正処分についての異議申立てを手伝ってくれという依頼を受けました。

 M歯科医師は働き盛りの先生で、技術も優れ患者の評判も良く、かなりの収入と所得を上げていました。その年にN税務署の現況調査が入り、税額にして3年間で7000万円にものぼる更正処分を受けました。

 この事案について依頼を受けたのは大阪のI税理士でしたが、I税理士から私に対して異議申立て、審査請求について協力を求められました。

 I税理士は膨大な原始記録に基づいて実額の計算に当たりましたが、私は主として異議申立て、審査請求の手続面を担当することになりました。

 異議審理を担当したN署のU上席調査官が洩らしてくれたところによると、更正処分は、M歯科医師が、通常、自由診療にしか使用しないある材料を、良い治療を患者に提供するために保険診療でも使用していたので、その材料の使用量を基準に自由診療の額を推計し、自由診療報酬の計上洩れを認定したものである、ということでした。M歯科医師の証言で推計の誤りが判明したので、I税理士の計算し直した実額を基礎に、更正処分の大部分は取り消されるだろうという感触を私たちはU上席調査官から得ることができました。

 ところが、それから半月ほど後にN税務署長名で異議申立て棄却の通知がM歯科医師のもとに送付されました。

 私は耳を疑いましたが、それは厳然たる事実でした。早速、国税不服審判所に対する審査請求ということになりました。私にとっては、審判所発足後、自分が直接担当する最初の事案です。全力を上げてとりくみました。

 審査請求の理由の第一にあげたのが調査の違法性です。現況調査でしたから、自宅、診療所、銀行、外注先などにいっせいに調査に入っていますが、納税義務者の同意を得ていたかが争点になります。自宅と診療所とほとんど同時に調査されていますから、M歯科医師が両方に立ち会うことはできません。本案では、ちょうど出勤途上だったので自宅にも診療所にも居ませんでした。

 納税義務者の同意なしにおこなった調査は明らかに違法です。この主張に対するN税務署長の答弁は「自宅については奥さんの、診療所については看護婦の承諾を得て調査をおこなった」というものでした。

 この答弁書を見て、私は「しめた」とひざを打ちました。納税者本人の承諾を得ていないことを処分庁が自白したことになるからです。

 この時の担当審判官は、偶然にも裁判所から出向していた判事でしたからこの答弁書を見て「処分取り消しもやむなし」の感触を持ったようです。こうなると、もう他の争点は論外になってしまいます。

 担当審判官から、代理人である私に対して「どうしても裁決が必要ですか」という打診がありました。もちろん裁決をもらわない理由はありません。裁判官は、処分庁にも処分取り消しの意向を伝えたようです。あわてた処分庁は、「取り消し」の裁決だけは避けたいと考えたのでしょう。職権によって裁決が出る前に原処分を取り消し、審査請求は、処分そのものがなくなってしまったので請求の利益がないことになり、「却下」の裁決が出ました。

 処分庁が、現況調査の実態に即して「正直」に答弁書を書いた結果ですが、これ以後、答弁書は国税局の訟務官室が厳重にチェックすることになったようです

(せきもと ひではる)

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