専門家集団の作成した「納税者憲章」
- 再録によせて、起草者の立場から -
東京会  関本  秀治  


「納税者権利憲章」(案)作成の経緯など


税経新人会全国協議会では、去る1993年(平成5年)8月22日発行の「税経新報」号外で、「納税者権利憲章(案)」を公表しました。この憲章案は、1980年代後半から先進諸国において相ついで納税者の権利憲章ないしは権利宣言などが制定され、これを受けてわが国でも同様の内容を持つ法律ないしは政府宣言を制定すべきであるという意見や運動が急速に高まったことに対して、新人会として、専門家としての提案を行っておくべきだという意見が出され、それに応えて起草、発表されたものです。

先進諸国における例としては、次のようなものがあります。

フランス 1974年「税務調査に関する憲章」大蔵省が制定、その後改定を重ね、1982年には租税手続法典の中に、「税務調査の際のあなたの権利と義務」が法定され、税務調査にあたって、この文書を納税者に交付することが義務づけられました。
カナダ 1985年、大蔵大臣が「納税者の権利宣言」を制定し、これを公布しました。
イギリス 1986年、「納税者憲章」を内国歳入庁が制定し公布、91年に改定しています。
アメリカ 1986年、内国歳入法の一部として「納税者権利章典」を制定しました。
韓国 1997年、国税庁長官示達として「納税者権利宣言」を制定、税務調査においてこの文書を交付することとしました。

このほかにも、オーストラリア(1989年)、ニュージーランド(1986年)などでもほぼ同様の権利宣言などが出されています。

わが国で、納税者の権利宣言について最初に意見を発表したのは全国商工団体連合会(全商連)です。全商連は、1977年3月に、それまでの30 年間の運動の成果をふまえ、第1次案を発表し、翌78年10月には第2次案を、82年には第3次案を、2001年には第4次案まで発表しています。この間、89年の消費税導入をふまえて、第3次案を一部改訂して、「大衆的な消費課税は廃止すべき」ことを盛り込んでいます。

第1次案は、時期的にみて、フランスの権利憲章が制定された3年後ですから、かなり早い時期から取り組んで来たことを示しています。どうしてかといえば、全商連・民商は、1963年(昭和38年)に、全国的な税務当局による弾圧的な調査や組織破壊攻撃を受け、これと全面的に闘ってきたという歴史的な背景を持っているので、納税者の権利については非常に敏感に反応したものであると思われます。フランスの権利憲章制定をいち早くとらえ、わが国においても同様の憲章を制定したいという強い願望の現れととらえることができます。

わが国において、納税者憲章についての論議や運動が高まったのは、前記のように1980年代後半に、先進諸国で相ついで納税者憲章が制定されてからですから、全商連の権利宣言案の発表は先駆的な意義を持つものとして高く評価されるべきものです。

社団法人自由人権協会は、86年2月に、「納税者の権利宣言」を発表し、1生活費非課税の原則、2税務行政における適正手続の保障、3納税者の権利救済制度の確立、4税金の使途を監視する権利、5納税者のプライバシー権の保護、6情報の公開などを求めています。

日税連税制審議会は、90年11月の「税務行政手続のあり方について」の第2次答申で、税務調査の事前手続や、すべての課税処分への理由付記などを求めています。税務調査についての事前手続まで踏み込んだ答申は、それなりに評価することができます。

日本共産党は、政党としては初めて92年2月に納税者憲章についての草案を発表しました。この草案は、先進諸国の憲章を視察、調査したうえで提案されたものですが、税務行政の手続全般について、政党として初めて見解を表明したものとして、社会的な影響を与えました。この草案は、税務行政において、税務職員がよるべき基本原則や、調査や処分、権利救済、情報公開、さらには公平、公正な税制を求める権利、納税者の団結権、団体交渉権などについても簡潔に触れられており、示唆に富んだものといえます。

不公平な税制をただす会も、加盟団体の意見を集約して、92年6月に「納税者の権利憲章案」を発表しました。その中には、1生活費、生存権的財産に対する非課税、2自ら申告し納税する権利、3公正、公平かつ丁重に扱われる権利、4納税額を最少にする権利、5情報を公開させる権利、6勤労所得軽課の権利、7不服を申立てる権利などが含まれています。

わが、税経新人会全国協議会の憲章案も、これらを参考にしながら、より完全なものにしようという考えのもとに作成されました。


手続的保障の意義


納税者憲章の中にどのような内容を盛り込むべきかについては、「納税者権利憲章(案)の発表にあたって」の当時の税制基本問題特別委員長としての私の文章に、5つの基本的な方針として述べられていますので、それを繰り返そうとは思いません。ここでは、主としてこの文章では表現されていない、憲章案作成に当たった者の一人として、納税者憲章の果たすべき役割について、私の考え方を述べておきたいと思います。

まず、憲章や権利宣言の中に、税制に関する納税者の要求や税制の基本原則、あるいは税制のあるべき姿というような、実体的な内容は、この種の文書にはなじまないだろうという考えがありました。そういう観点からいえば、全商連の権利宣言は、税務行政の手続面での権利についてだけではなく、その主要な部分が税制に関する要求によって占められています。それはそれとして納税者国民の重要な権利ですから否定すべきものではありませんし、全商連の権利宣言の先駆的、積極的意義を少しも損なうものではありません。

しかし、私たちの憲章案では、実体的な税制上の要求は、最低限必要なものにしぼり、主として税務行政上の手続的な保障をどうすべきかという観点からまとめられています。このことは、起草にあたって実体的権利を軽視したのではなく、実体的な権利を守るための手続的保障を重視すべきであるという考え方に立っていたからです。

実際に施行されている各国の権利憲章等をみても、どの国のものも、税務調査に際しての納税者の権利、課税処分を争う際の納税者の権利など、手続的なものに限られています。これは、立法技術的にみても税務行政の手続規定の一部を構成しているものに過ぎませんから、実体的な規定が盛り込まれることはないという事情もあります。そういう視点からいえば、生活費非課税の原則とか応能負担の原則などが、憲章の中にはいってこないことは当然だといえば当然です。

しかし、私たちが、税務行政に関する手続規定を精緻に構成しようと考えた理由は外にもあります。そしてその方がより重要だと考えています。

それは、「手続なければ権利なし」といわれているように、実体的な権利を守るためには、それを可能にする手続規定がきちんと整備され、行政庁によってその手続がきちんと守られなければならないということです。そのための憲法的な保障が適正手続であるといえます。適正手続が軽視されるようであれば、どれだけ立派な実体的権利が法律に規定されていても、それは画に描かれた餅になってしまう危険性が常にあります。


適正手続の意義


適正手続の核心は、「告知と聴聞」にあります。行政が、納税者、国民、住民に対して不利益処分をするとき、あるいは、申請、請求等を拒む場合、行政庁は必ずその理由を相手方に告知し、相手方に十分反論または弁明する機会を与えることが必要です。

事後的に、異議申立てや審査請求による権利救済をする場合も同様です。課税処分についての理由付記、異議決定や審査裁決についての理由付記も全く同様の趣旨に基づいて設けられているものであって、決してその後の争訟手続において反論の便宜をはかるためというようなものではありません。

国民主権主義の憲法下では、国民も行政庁も全く対等な法的主体としてとらえられなければなりません。憲法は、立法、行政、司法のいずれについても国民に対する優越的地位を認めてはいません。むしろ、「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」(憲法15条)と規定し、国に対する国民の主権者としての地位を確認しています。

私人間において、自分の意思を相手方に強制することができないのと同様に、現実はそうなってはいませんが、行政もその意思を国民に一方的に押しけることはできないという原則が確立されなければなりません。

しかし、放置すると、行政は独り歩きをして、行政それ自体が自己目的となる危険性が常にあります。むしろ、現在その傾向を益々強めているといわなければなりません。その行政の独り歩きを拘束するのが「法の支配」ないしは「法律による行政」の原則です。その行政を拘束するのがまさに適正手続の目的であり、そのための道具だといえます。

憲章案は、そのような認識のもとに、税務行政を縛ることができるよう、できるだけ細かく規定することを考えて起草されました。そのような観点から、ぜひもう一度読んでいただきたいと思います。


立法のための運動 TCフォーラムの役割


納税者憲章の制定を求める運動は、憲章案や宣言案を発表した各団体等の要望もあり、運動を一本化して関係各界へ働きかけることになり、1993年に「納税者権利憲章をつくる会」(略称「TCフォーラム」)が結成されました。結成に参加した団体は、順不同で、全建総連、不公平な税制をただす会、全国保険医団体連合会、全商連、全国青年税理士連盟それに税経新人会全国協議会の6団体です。このほかにも個人加盟の形で参加された弁護士事務所や税理士事務所もありましたが、運営団体としては6団体が主体となりました。

TCフォーラムとしても、政府宣言案、法律案など様々な形態が検討されましたが、最終的には、国税通則法の改正案という形でまとめられ、国会提案まで漕ぎつけました。

法案は、「税務行政における国民の権利利益の保護に資するための国税通則法の一部を改正する法律案」として、2002年7月12日、民主党、日本共産党、社会民主党の3野党の共同提案として第154国会の衆議院に提出されました。

しかし、与党自民党、公明党の反対で審議にはいることができず、同国会の閉会によって審議未了廃案となりました。

この法律案は、通則法の第1条の目的の中に「税務行政の運営における公正の確保と透明性の向上」、「納税義務の適正な履行及び国民の権利利益の保護」を謳うとともに、「税務行政運営の基本理念等」の節を新設して、納税者に対する「必要な情報の提供」や納税者の「苦情等の誠実な処理」、納税者の「行った手続は、誠実に行われたものとしてこれを尊重する」ことを法定し、税務運営の基本方針について、国税庁長官はこれを定めて公表すべきこと、納税者の権利保護のために必要な事項を文書化し、これを普及すべきことなどを定めようとしています。

さらに、税務調査にあたっては、文書をもって、担当職員の所属、氏名、調査理由、質問検査の内容や物件名、日時、場所等を事前に通知すべきこと、調査の結果について相手方に文書で通知すべきことなどが盛り込まれています。

もし、この法案が成立したならば、わが国の税務行政に革命的な変革がもたらされることになった筈です。しかし、与党の反対によって当面、成立する見込みが立たないため、再提案はされていません。

このような情勢を打開するため、昨年(2008年)、TCフォーラムは、「納税者権利憲章の制定ないし国税通則法の一部改正を求める請願」のための100万署名運動を開始しました。この署名運動は急速に発展し、今年2月には短期間に100万署名を達成し、衆参両院議長宛に提出されました。2月26日には、衆議院第2議員会館で5団体60名を超える参加者で、「納税者権利憲章制定を求める請願要請院内集会」が開かれました。この集会には、2002年に国税通則法改正案を共同提案した民主党、日本共産党、社民党の議員から連帯の挨拶をいただいたほか、自民党や公明党の議員の一部も請願の紹介議員になっていただきました。

この100万署名運動の成功は、国税通則法改正に向けて大きなはずみをつけるものではありますが、現在の政治情勢のもとでは早い時期に実現する見通しを私どもに与えるものであるとはいえません。


行政手続法の制定の意義と税務行政


納税者憲章の制定を求める運動が展開されている同じ時期に、これと重要な関連を持つ行政手続法の制定に向けた動きも活発化しました。行政手続法は、第1臨調の時に、法律案要綱まで示した答申がありましたが、官僚の強い抵抗によって陽の目を見ることはありませんでした。それは、1962年(昭和37年)ですが、この年は、日本の行政法の分野で大きな変革のあった年です。税法の分野では国税通則法が制定され、国税徴収法が大幅に改正されましたが、一般の行政分野では訴願法が廃止されて行政不服審査法が施行され、行政事件訴訟特例法が廃止されて行政事件訴訟法が施行されました。

行政事件訴訟法は、処分について不服申立てができる場合であっても、直ちに訴えを提起することができるという原則規定を設けました。しかし、ただし書きによって、他の法律によって不服審査についての決定または裁決を経た後でなければ訴えを提起できない旨の規定がある場合はこの限りでない(同法8条1項ただし書き)と規定し、不服申立て前置主義の全面的廃止を求める国民の要求に背を向けることになりました。

国税通則法では、このただし書きを受けて、国税に関する法律に基づく処分の取消しを求める訴えは、異議決定または審査裁決を経た後でなければ提起することができないこととしました(同法115条)。

また、行政不服審査法の施行により、それまで限定的に認められた行政庁への訴願(不服申立て)が、原則としてすべての行政処分について不服申立てができることになりました(同法4条、処分についての不服申立てに関する一般概括主義)。

しかし、行政手続全般を規制する行政手続法は、それから32年経過してようやく成立したのです。日本の行政が先進国にくらべていかに後れているかを如実に示すものといえます。それよりも更に古い体質を持つのが税務行政です。

行政手続法は、申請等についての拒否処分(第2章)、不利益処分(第3章)等をする場合には申請者等に対してその理由を開示したうえで、聴聞を経なければならないこと、弁明の機会を付与すべきことなどを定めています。いずれも憲法13条、31条が保障する適正手続の要請に沿ったものです。また、同法は、行政指導についても手続規定を設け、国民の権利利益の保護に万全を期そうとしています。

ところが、行政手続法の成立と同時に国税通則法を改正して、新たに74条の2(行政手続法の適用除外)を設け、行政手続法のほとんど全部を適用除外することとしています。行政手続法を読むかぎり、この法律は、まさに税務行政にこそ全面適用されるべきものであることが実感として理解できるでしょう。

わが国の税務行政がこのような状況にあるかぎり、納税者権利憲章ないし権利宣言の制定が当面の最も重要な課題であるといえます。

現在、国会がいつ解散され、総選挙が実施されることになるかわからない情勢にあります。日本共産党は、既に「納税者憲章」案を発表していますし、民主党や社民党も154国会に通則法改正案を共同提案しています。また、民主党は、現行の「アクションプログラム」で、納税者権利憲章の制定を公約として掲げていますので、今度の総選挙では、ぜひとも衆議院においても与野党逆転を実現させ、納税者憲章の制定または国税通則法の一部改正を実現させたいものだと思います。もっとも、この文章が印刷される頃には、既に国会が解散されているかもしれませんし、もっと情勢が急変すれば選挙結果が出てしまっているかもしれません。いずれにしても、一日も早い納税者憲章の実現を、全国の納税者とともに願ってやみません。(09年5月20日)

(せきもと・ひではる)